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2017年06月14日

時が刻んだ風景の物語 「ヒルサイドテラス+ヒルサイドウエストの世界 都市・建築・空間とその生活」

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 ヒルサイドテラスとヒルサイドウエストは、旧山手通り沿いに展開していった一つの長い物語である。第一話での登場者たちは、その姿やかたちを徐々に変えて再び現れたり、あるいは姿を消しながら成長、成熟していった。最初に物語の結末がはっきりとしていたわけではなく、第二話、第三話と話は、むしろ意外な展開を見せていった。植田実は、いつかそのことを「読みようのない次の一手」と評し、意表をついたものと論じていた。急速に変化する東京の中にあって、ゆっくりと成長していく姿は、連歌のように連続性と意外性を持って展開していった。できあがった姿を見ていると、いつのまにか当たり前の風景のように見え、しかしいつ来ても新鮮に思えるのは、そんな成長のしかたに秘密がありそうだ。

 その時が刻んだ風景の物語が、一冊の本になった。本を開き、目次を過ぎると、モノクロの端正な写真が編年順に並び、都市の中のヒルサイドがエッセイとして何人かの語り手によって語られる。そのような前半が、ヒルサイドを俯瞰的にとらえようとしているのに対して、後半はより詳細なレベルでの物語のきめ細かい解読が、スケッチ、図面、写真、文章により展開されている。(その多くは、カラーである。)今回新たに描き起こされた図面、新たに撮影された写真も多くまじえ、ヒルサイドの空間に分け入っていくような感覚にとらわれる。伝統的な街並みの記号論研究で著名な門内輝行と対話する中で、槇文彦は、その物語の成り立ちを明らかにしていく。つくるときには意識されなかったかもしれないことがらが、門内の分析の力を得て、ここでは明らかになっていく。見え隠れしながら展開していくヒルサイドの現在をとらえた数多くの写真は、その空間とそこで繰り広げられている生活をあますところなく伝えている。この本の副題が、「都市・建築・空間とその生活」となっていて、建築という器と、そこで行なわれるアクティヴィティの二つが並置されているのは、おそらくはヒルサイドの本質にかかわることである。

 ヒルサイドテラスもヒルサイドウエストも、その根本は都市を構成する住居である。ヒルサイドは、宮殿でもなく、モニュメントでもなく、近代建築が追い求めてきた夢を、都市の基本的な構成要素である集合住居と、内外部のパブリックスペースの連鎖により、実現させてきた。それは大仰な身振りの英雄叙事詩ではなく、20世紀の東京が紡ぎだした一つの魅力的なヒューマンスケールの物語なのである。この1冊の本は、その魅力を味わい、都市の本質の一端を汲み取るための書なのである。

(「住宅建築」2006年9月号)

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声なき都市の声に耳を傾けよ 「都市の住まいの二都物語」

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 その小さな本の表紙写真は、とても印象的である。街路と建築の、そのはざまを捉えたモノクロ写真は、ロンドンのテラスハウスのものであろうが、その街を歩けば、あまりにもありふれた風景をこのように切り取って写せることに、都市に対しての著者の強い問題意識が見てとれる。穏やかな語り口であるが易きに流れず、読みやすい本であるが都市の本質に迫っている。あえて言い切ってしまえば、この本は、表題ともなっている「都市の住まいの二都物語」と「コンサベーションとリニューアル」の二つの文を読めば、それで良い。前者は1981年に出された都市型住居に関する『新建築』誌増刊号の巻頭論文であり、後者は1972年に出された植田実編集にかかる『都市住宅』誌6月号の巻頭論文である。

 「都市の住まいの二都物語」では、日本の都市の住まいの多くが、区分化された単体建築としての「集合住居」の集まりであって、街路との関係を持ちながら個々に意志を持った住居が集まり街区を構成する「住居集合」でないことを指摘する。「住居集合」としてかたちづくられた都市として、ロンドンとパリの二都を挙げ、ロンドンのテラスハウス、パリのメゾン・ア・ロワイエについて、写真、図面を添え、都市建築を学ぶ者、考える者にとっての大事なエッセンスを、わかりやすく詳述している。

 「コンサベーションとリニューアル」は、何と今から35年前の論文である。今でこそ、保存と再生、コンバージョンの課題は、現在進行形の問題として捉えられているが、著者は大阪万国博覧会から数年も経たないその時点で、この論考をまとめている。コンサベーションにはいくつかのレベルがあって、レストレーション、リハビリテーション、リノベーション、インフィルの四つの類型に分けられるという。ここでは、米国でのそれらの実例の紹介にとどまらず、それら実例を超えたところでの全体像のパースペクティブが提示されている。このように二つの論文は、年月が経ち色褪せるどころか、年月が経っても変わることのないアーバンデザインの目指す方向性を示している。

 今、手元にある『都市住宅』1972年6月号を開いてみると、後記として「まちは、本来計画者が勝手に生かしたり殺したりできるものではなく、まちの生命力には、計画者の関与できない部分があって、それを見抜くことが計画者の責務である。」と、ある。相も変わらず大規模な再開発やマンション建設の進む中、もう一度ここで声なき都市の声に耳を傾けるために、この本は読まれるべきではないだろうか。

 王国社の建築書は、どれも滋味あふれるものである。ここに編集者の慧眼により都市建築の本質にかかわる書がまとめられ、一連の建築書に加わったことを、大いに歓びたい。 

(「住宅建築」2007年8月号)

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「都市の記憶-美しいまちへ」

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 明治以降に建てられた洋風のオフィスビル、銀行建築、商業建築は、今や都市の記憶を秘めた歴史的建造物となっている。この本は、その都市の記憶をかたちづくる建物についての本であり、歴史家・鈴木博之によるテキストや写真家・増田彰久による多くの美しい写真等によって構成されている。

 歴史的、文化的な価値を持つ建物を残し活用していくことは、都市に厚みと潤いを加える。この本は、その都市の風景を鑑賞するだけの本ではなく、社会や街そして市民が、その価値を再認識し、それら建築が取り壊されずに残るために何を変えていかなければいけないか、どんな制度を持たなければいけないかまでの考察を含んでいる。

 法律的な仕組みを伴なわない主張は、経済合理性には打ち勝てない。そしてその法律を動かすものは、一人一人の市民の意識である。この美しい多くの写真からなる本は、一人一人の意識を変え、現実を動かしていくための実践の書といえる。

 ここで取り上げられた写真から見えてくるものは、都市の中にあり人々の記憶の中に印象深く残っている建物の多くが銀行建築であり、そこで外観と共に写されているのが銀行の営業室であるということである。今も銀行として営業している建物もあれば、博物館、資料館などに転用されている建物もある。吹き抜け空間になった営業室は、もともとは銀行を訪れる顧客と銀行員が対面する銀行の活動の核となった空間であるが、それは単に営業のためのスペースであるということを超えて、銀行が持たなければいけなかった安心感や権威を表わしているものと言える。そこで求められた空間は、都市の中でも重要な位置を占めていた銀行の立地条件ともあいまって、すぐれた「都市の部屋」を生み出していたと言える。それらは、すぐれてパブリックな性格を持ったものであった。そのような骨格を持った空間であるからこそ、後に博物館や資料館にもなりうるのであろう。

 今や銀行は、コンビニに端末機を置く時代となった。この時代に次の時代の博物館を生み出せるような骨格を持った空間あるいはそれを生み出すことのできる活動は、一体何であろうかと思ってしまう。 今建てられている新しい建物も、やがては古くなる。今古い建物を残せない人々は、未来においても、その時代の古い建物つまり今建てられつつある建物を残してはくれないだろう。

(「住宅建築」2002年8月号)

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「現代建築のコンテクスチュアリズム入門」

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 建築の建てられる場所にはコンテクスト/文脈があり、そのコンテクストを読みながら新しい建物を構想するという考え方は、その所与のコンテクストを尊重するにしても、無視するにしても今や多くの設計者にとっては自明のことであろう。都市のコンテクストを読んでいくということは、景観論、保存について考える際も大事な事柄となっている。この本は、1960年代から建築界で議論されてきたコンテクスト概念について、その源泉までさかのぼりながら、現在の動きに到るまで広範囲に渡ってトレースした書である。

 著者によると、建築用語としてのコンテクストには二つの水準があるという。一つは、ものである「織物」との類推に基づき、その組織構造に注目するものであり、もう一つは記号である「言語」との類推に基づき、その意味規定力に注目するものであるという。前者は建物あるいは建物群がつくる形のまとまりによる物理的コンテクストに対応するものであり、後者は人々の記憶の中にある建物など「もののかたち」からの連想に基づく文化的コンテクストに対応するものである。

 コンテクストを尊重するといっても、その敷地が混乱した場所であれば、尊重するべきものがないという状況もありえる。コーネル・スクールの提唱したコンテクスチュアリズムは、まず理想形があり、それがコンテクストによって変形されるという考えであった。それらを考え合わせると、コンテクストを批判的に読む力、理想形をイメージする力がなければ、コンテクスチュアリズムは無批判の状況受け入れ主義に陥る危険性を秘めているといえる。それらを見きわめていくためにも、本書は良き道しるべとなるであろう。

(「住宅建築」2002年8月号)

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「建築」から「造景」へ 「[場所]の復権 都市と建築への視座」

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 造景双書の1冊として、平良敬一による対談集『「場所」の復権』が刊行された。対談の相手は、磯崎新、槇文彦らの建築家から伊藤鄭爾、川添登らの歴史家、批評家まで十六人にのぼる。その対談のシリーズの根底にあるのは、単体の建築よりも、その建築が集まり形成される都市への問題意識である。

 「造景」とは、あまり見かけない言葉である。造型でもなく、造家でもなく、「造景」である。(日本で最初につくられた大学建築学科は、当初造家学科と呼ばれていた。)フランスの地理学者オギュスタン・ベルクの著書に「日本の風景・西欧の景観-そして造景の時代」というものがある。彼は、西欧における近代の風景の危機から生まれたポスト二元論と、大いなる風景の伝統を持つ東アジアの非二元論に対して、それら二つの総合から出てくるであろう新しい風景を「造景」と呼んでいる。単なる建築づくり、まちづくりを超え、新たな都市をつくり、あるいは再生していくという時に風景、景観という視点からの創造、ベルクの言う「造景」は新たな実りをもたらすように考えられる。

 平良敬一は、すぐれた編集者であり、多くの建築雑誌に関わってきた。しかもその大部分は、自らが創刊に関わったものであるという。1950年代に「国際建築」、「新建築」の編集部を経験し、その後「建築知識」、「建築」、「SD」、「都市住宅」を創刊した。1974年には、建築思潮研究所を設立し代表となり、本誌「住宅建築」や雑誌「造景」を創刊し、それぞれ初代編集長をつとめている。その編集者としての軌跡を眺めていると、建築単体を題材とする雑誌から出発し、そこから空間やアート、都市への視座と領域を広げ、やがて建築の最も根源的な存在である住宅と、建築が集まりつくりだされる都市の問題へとたどり着いていることが分かる。それぞれの時代の中で、平良は時代から影響を受け、また時代に影響を与えてきた。

 十六人にものぼる建築家、歴史家、批評家、建築学者は、平良の長いキャリアの中で、その時々に登場してきた人たちであるが、この対談シリーズは、平良の都市や環境に対する問題意識につらぬかれている。したがって建築家と対談する時にも、個別の建築作品に関する対話というよりも、個々の建築から広がる都市への眼差しに関わる話となっている。それゆえ、個々の作品集などで見られるものとは、違った切り口での建築家の発言が多く見られる。平良が引き出したかったのは、まさに普段は見えない、しかし今最も必要とされているそのような切り口の対話であろう。建築から造景への時代である。

(「住宅建築」2006年2月号)

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