「あかり 光と灯のかたち - 古代から現代まで」
この本は、「失われたあかりを求めて」つくられた本である。失われたあかりは、今やあかりの資料館に出向かなければその姿を見ることができない。また、「陰翳礼讃」をイメージさせる日本の住まいは、たてもの園に出向かなければ見ることができない。それは日本の旧い民家にも似て、確かにかつての日本人が共有していた美しい日本には違いがないけれど、今それらを共有しているとは到底言いがたいと思う。
現代の最も美しいあかりが、真の故郷を持たないと言ってもよかったイサム・ノグチによって創られたのと同じように、その美しい日本は外側から発見されるものに、だいぶ前からなってしまっている。繊細で今にも消えてしまいそうに揺らいでいるあかりがそうであるように、意識して保とうとしなければそれらは存在しないのである。しかしながら、そのことをかなしむ必要もないと思う。日本人は繊細なあかりを尊ぶというのとは別の方向を明らかに目指して走ってきたのだし、失われたあかりは、今ふたたび外側から発見されるべきものであるからである。
この本であかりは、火に起源をもつ照明器具-人工の光にとどまらず、自然光をいかに取り入れるかという範囲までも含めてとりあげられている。照明デザイナーの仕事は、照明器具-たとえばシャンデリア-をつくることではなく、いかにその場所に適切な光を与えるかというものである。適切な光を与えるためには、時には照明器具は不必要であり、その存在は感じられなくてもよいものである。この本であかりという観点から光の問題を全体としてとらえようとしている点は、評価してよいと思う。かつて、伊藤ていじの著書「灯火の美」を読んで照明デザイナーをこころざした若者がいた。この「あかり」の本を手にして、失われたあかりへの感性を取りもどすきっかけになってくれればと思う。
(「住宅建築」2000年8月号)