「劇場と学校をむすぶもの」その2
「教育資源としての劇場・ホールその1関西編」において、「劇場と学校をむすぶもの」について「体育館は講堂ではなく、講堂は体育館ではない。」という考え方を出発点として論じた。大空間が必要とされるという共通項に立脚してはいるが、屋内運動場としての体育館と、式典、学芸会のための講堂は、本質的には両立するものではないと考えた。今回はその考えをベースとしながら、米国コネチカット州にあるホッチキス・スクール(*1)を例にとって「劇場と学校をむすぶもの」について考えてみたい。
ホッチキス・スクールは、1892年米国東部コネチカット州レイクヴィルに設立された。レイクヴィルは、ニューヨークのほぼ北、ボストンのほぼ西に位置し、どちらからも車で数時間の距離にある。ボストン交響楽団の夏の音楽祭で有名なタングルウッドやシェーカー教徒の町として良く残っているハンコックもそう遠くないところである。ホッチキス・スクールは、日本の中学生・高校生にあたる年齢層の生徒たちのための原則全寮制の男女共学の学校であり、多くの卒業生がハーヴァード大学等の名門校に進学するプレップ・スクールとして知られている。
ホッチキス・スクールのカリキュラムは、全人教育を目指し、リベラル・アーツ「教養」を修得するためのさまざまなコースが用意されている。英語、数学、歴史などの基礎科目に加え、芸術系の科目がある。芸術系の科目はアート、舞踊、演劇、音楽、写真などに分かれ、生徒の希望によって選択できる。ちなみにアートのコースの中には、建築についての授業もあって、製図のしかた、模型の作り方からはじまり、ビデオやスライドなどを使った建築史、簡単な設計課題をこなす内容となっている。
演劇のコースは、「太古の時代から演劇は、宗教的な信念、政治的な展望、社会的な関心、悲しみや喜びを表現する大事な方法であった。」と大きく位置づけられ、その教育内容が考えられている。発声や演技の練習に加え、脚本作り、舞台のデザインやメイキャップなどの製作のための技術、演劇の歴史等トータルに学ぶ内容になっている。映画や生のパフォーマンスを見ながら学び、最終的には自分たちで一つのプロダクションを作ることを目標にしている。
建築にしても演劇にしても、かなり専門的な領域まで踏み込んではいるが、根底にあるのはあくまでリベラル・アーツの一環としての教育であり、その土壌の中で生徒によってはその才能を伸ばしプロの道を選べるように考えている。学校としては、将来のアーティストも、将来の観客や聴衆も、将来のパトロンも育てる責任を持つと考えている。ここで重要なのは、演じる側の人間だけでなく、それを観たり聴いたりする人間、支えサポートしていく人間までも含めて育てていこうとする姿勢であろう。
ホッチキス・スクールの建物は、そのような活動を支えていく器として考えられている。ゆったりとした敷地のメインアプローチの奥にはメインビルディングが構え、その本館を囲むようにいくつかの寄宿舎が配置されている。(配置図および鳥瞰写真参照)体育施設群は道をへだてた東側にある。本館は、南からのメインアプローチの軸線に対して、ほぼ左右対称に構えていて両翼のウィングには、チャペルと図書館が配置されている。660席を持つ劇場は、建物の中心軸上のメインエントランスの奥に位置している。入口階の1階から見れば地下階であるが、敷地は北側の湖に向ってゆるい北下がりの斜面であるため実際は地下ではない。地階にはさらにダンススタジオとブラックボックスのスペースが配置されている。(1階、地階平面図参照)
配置図、平面図を見ると、この劇場がまさに校舎群の扇の要として学校全体の中で重要な位置を占めていることが分かる。それは単に配置上のプラニングの結果というよりも、演劇を含めた舞台芸術に対するこの学校の位置づけの反映であるといった方が適切であろう。現在劇場の西側には、音楽のためのリハーサル室群が増築案として考えられている。東側も更に将来の増築が考えられている。 米国におけるホッチキス・スクールの例は、「劇場と学校をむすぶもの」についての最も理想的な例の一つであろうが、学校の理念や、それに基づくカリキュラムがまずあって、建物施設群はそれらを具現化したものである点-理念がまずあり、そのための器として建築が存在する-という点が、実は最も大事な点であり、学ぶべき点ではないかと考える。
(*1)ホッチキス・スクールについては、卒業生であり、かつ現在同校評議員の中地真理氏からの資料に基づく。米国弁護士でもある中地氏は、ニューヨーク在住でミュージカルや演劇のプロデューサーとして活躍中。
(日本建築学会建築計画委員会 劇場・ホール小委員会 シンポジウム冊子「教育資源としての劇場・ホール その2」所収)
全景写真
配置図
1階平面図
2階平面図