Essays
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「ルイス・カーンとは誰か」/「ルイス・カーンの全住宅 1940-1974」(*1:香山 壽夫著/王国社、*2:齋藤 裕署/TOTO出版)

ルイス・カーンにとって、建築家としての原点は教師にあり、建築の原点は住宅にあった。彼にとってそれは日々の活動の原点であり、日々建築を創り出していくための糧であった。香山壽夫による「ルイス・カーンとはだれか」は、カーンの下で学んだ著者が、「建築家としての原点」とそこから生み出されたカーンの考えを、熱情にあふれた美しい言葉によって明らかにした書である。それは師に接して40年ほど経って、はじめて紡ぎ出されたものである。斎藤裕による「ルイス・カーンの全住宅」は、カーンにとって「建築の原点」である全住宅作品の写真を中心につくられた書である。彼の73年間の人生のなかで、計画案も含めると50件近くもの住宅プロジェクトを手がけていたという。その中で個人住宅は20件、そのうち実現したのは9件であるという。著者は、現存するカーンのすべての住宅を訪ね、四季を通して写真を撮り、施主と話をし、ペンシルベニア大学のアーカイブで図面を調べている。この二つの書は、カーンや著者の思索の跡がうかがえる多くの美しい言葉と写真、スケッチと図面に満ち溢れている。以下、いくつかの言葉を自由に引用させて頂く。

カーンは、どんなに忙しい時でも、必ず時間には教室にあらわれた。最多忙の建築家が、常に自分は先ず第一に教師であり、次に建築家なのだと言っていた。「修道士達は、どんなに忙しい仕事の時にでも、必ずお祈りの時間には聖堂に来る。私にとって教室とは、修道士にとっての聖堂なのだ。」カーンは比類ない教師であった。教えることによって、自ら創り出したのであった。自ら発見し創り出すことの中に、学生を誘いこむことによって教えたのであった。(*1)

カーンの授業は、いつも、黒板の前の大きなテーブルを丸く囲んで行われた。学生ひとりひとりの製図机の間を巡って、個別に指導を与えるというような、通常のやり方をカーンはとらなかった。学生のスケッチや図面の上に、スケッチを重ねたり、手を入れることもしなかった。授業は常に、カーンとクラス全員の学生との問答、対話として行われた。(*1)

カーンは生涯を通じて、都市計画、美術館、工場、研究施設、学校、宗教施設などを手がけてきた。だが、「どんな建物も、家なのです。それが議事堂であろうと、個人のための住まいであろうと」というカーンの言葉が示すように、どんなに大きな、公共性の強い建物であろうが、彼がまず取り組むのはその空間の「始まり」への探求であり、そこは人間が暮らし、集う部屋であり、家を起点とするものだった。(*2)

ルイス・カーン事務所の製図板の上には、東パキスタンやアメリカ各地で進行中の大計画と並んで、いつも住宅の計画が置かれていた。都市計画のレイアウト図に手を加えた色鉛筆で、住宅の詳細図と取り組んでいるカーンの姿があった。なぜなのか。カーンにとって、住宅はすべての建築の始まり(ビギニングス)であった。住宅は数多くある建築のさまざまなタイプのうちのひとつ、というものではない。ましてや、最も簡単で、初歩的なタイプのひとつ、というものではない。住宅のうちに、人間のつくるすべての建築の根源、初源の姿が秘められている。カーンのいうビギニングスとはそのようなものである(*2)。

そこには小さな住宅のディテールの中に建築のあるべき姿を追い求め、学生との対話の中で建築の本質を追い求めるカーンがいる。建築の立ち返る原点として、人間が暮らし、集う部屋のある住宅があり、建築家の立ち返る原点として「良い質問は、常に良い答より優れています。」と言っていた教師があった。自分自身の立つべき座標軸の原点を忘れず建築の初源の姿を追究するためには、常に学生と対話することと住宅を設計することがなくてはならぬとカーンは考えていた。

今まで聴き慣れていた曲が新たな解釈と演奏によって、今まさに生まれ出た新鮮な曲に聞こえることがある。優れた解釈と演奏によるリアリゼーションは、その作曲家に新たな光をあて、新たな視点をもたらす。この二つの書は、それぞれ美しい言葉と写真によってカーンの創作活動の根源を明らかにしている。新たなリアリゼーションによって、カーンに新たな光をあてている。ふかく考えられた言葉と、四季を通じて住宅の姿をディテールに至るまで写した写真は、パッションと同時に醸成の時間を必要としたものであろう。それゆえ、この二つの書は一読して終わるものではなく、折りに触れて立ち返るべき書であろう。われわれの前に、カーンはまた新たな姿で立ち現れている。

(「住宅建築」2004年2月号)

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