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「香山壽夫の四つの劇場 -公共建築としての劇場・ホール-」

1.はじめに

 香山壽夫は、日本でも有数の劇場建築家である。この10数年の間に、「彩の国さいたま芸術劇場」(1994年)、「長久手町文化の家」(1998年)、「可児市文化創造センター」(2002年)を手がけ、このたび「日田市民文化会館」(2007年)を設計した。ここでは、今日まで設計されてきた四つの劇場を概観しながら、香山壽夫の劇場建築を通して、公共建築のあり方について考えてみたい。その中で、これら劇場において試みられている市民参加のありようを振り返り、公共建築と市民参加の意義について考察したい。下記が、その四つのホールの概要である。

「彩の国さいたま芸術劇場」敷地面積18,970㎡、延床面積23,856㎡
大ホール(776席)、コンサートホール(604席)、小ホール(346席)
大稽古場をはじめ、大小12の練習室
「長久手町文化の家」敷地面積24,455㎡、延床面積17,488㎡
森のホール(819席)、風のホール(300席)
アートリビング(美術室、舞踊室、音楽室など)
「可児市文化創造センター」敷地面積33,689㎡、延床面積18,415㎡
主劇場(1019席)、小劇場(315席)
美術ロフト、演劇ロフト、音楽ロフト
「日田市民文化会館」敷地面積9,480㎡、延床面積8,902㎡
大ホール(1008席)、小ホール(345席)、展示ギャラリー、スタジオ

 「彩の国さいたま芸術劇場」は県立であり、既存の県立施設にない規模・客席数を持つ専用ホール群と、大稽古場をはじめとする充実した練習室群が特徴である。専用ホール群は、その規模が大きすぎることなく、観客が舞台に集中できる大きさである。他の三つの施設はいずれも地方都市のホールで、800~1000席程度の大ホールと、300席程度の小ホールに練習室群を組み合わせた構成となっている。いずれのホールも、地方都市の中核施設として多目的な使われ方を想定している。(その中で、専用ホール並みの性能を追求している。)市民ユースの練習室群においては、「彩の国」の経験も生かしながら、一歩踏み込んだところでの提案がなされており、それらは「長久手」におけるアートリビングや、「可児」におけるロフトという部屋の命名の仕方に良く表わされている。「日田」以外の施設では、基本構想・基本計画段階から建築計画の清水裕之が参画しており、それら市民ユースのスペースの骨格を構想している。

 「日田市民文化会館」の敷地と延床面積は、この種の施設の規模としては小さい。敷地は、日田駅から程遠くない現市民会館が立地している場所が、選定されている。近年市役所や公共ホールは、駐車場確保の観点などから、まちの中心からはずれて、大駐車場付きの商業施設タイプの郊外型を目指しがちな中、あえて駅に近い場所に敷地を選定し、既存のまちとの連続性を保ち市街地活性化の糧としている点は、敷地の規模の制約にはなっているが、好ましく感じられる。(今回シンポジウムでとりあげられる茅野市民館も、まさに駅前である。)

2.公共建築としての劇場建築

 香山壽夫は、「可児市文化創造センター」までの道程を振り返り、公共建築についての論考で、次のように述べている。「都市の歴史を振り返ってみれば、いかなる時代、いかなる文化においても、人びとは共に集まり、共にさまざまなことを行うための空間を建設してきたことがわかる。なんらかの形での広いオープンスペースと、それを取り囲む一群の建築だ。古代において広場は、屋根のない、総合的な公共建築だったといってよいだろう。都市はまず集まる場所を必要とするのである。」(*1)それらお祝いやお祭り、演劇や音楽などのための場所、共同体の公共の空間は、時代を下るにしたがって、劇場や美術館などに分化、特化し、やがては無数の断片となって、都市のあちこちに散らばっていると指摘する。そして、今、断片化したそれらを、もう一度まとめて、「身近なところ」に引き寄せ、自分たちで使えるものとしたいという機運が生じているという。

 この「身近なところ」に引き寄せ、自分たちで使える劇場が、香山や清水がこの10数年一貫して追求してきたものである。その「身近なところ」に引き寄せる手立てとして「市民参加」がある。「文化ホールはまちをつくる」と言われるように、公共ホールの積極的な運営は地域の活力に大きな影響がある。清水は、実際にその公共ホールの潜在能力を十分に活かすには、ホールをつくるだけでは十分でなく、その運営が市民に開かれ、支えられていることが不可欠であると述べる。(*2)清水によると、市民参加には、基本構想・基本計画段階、設計段階、(工事期間にも重なる)オープン後の段階の三つの段階があるという。「可児市文化創造センター」の市民参加は、この三段階すべてにおいて、公募方式を採用し、実践された。香山は、現場監理よりも前の設計段階から、設計室を可児にかまえ、市民と対話を重ねたと言う。

 上記三段階の市民参加において、清水が最も重視するのは第三段階であり、「本来の文化施設計画における参加の最終目標は、市民による運営参加である。」と、指摘する。市民参加の最終目的が、そこにあるのであれば、オープン後の市民参加のみがあればよく、それまでは市民はかかわらないという方法もあるかもしれない。しかし、自分たちが生み育て、はぐくんだものが愛する対象となるとすれば、その方法では最終目標は達成されがたく、初期段階から参加し、はぐくんだ結果が、運営面における市民参加を生み出すのであろう。(可児の市民参加の実践においては、当初から運営までかかわる市民、はぐくむ段階で力を発揮する市民、運営面で力を発揮する市民など、その市民の指向性によって、活躍するフェーズが異なると聞いた。市民の総体による参加と言えるであろうか。)

 ここで指摘しておきたいのは、「市民参加をしたので、正しいプロセスを経て決まりました。」というだけでは、プロセスの正しさを言っているだけであり、最終目標が達成されたかどうかは別ものだということである。重要なのは最終目標であり、そのプロセスは、その目標を達成するための手段である。その最終目標がはっきり明確でなければ、プロセスそのものが、自己目的化してしまう危険性がある。その最終目標において、より本質的なところで市民参加の「実」をあげるためには、建築設計そのものを行なう建築家の立場とは異なる立場にたつ専門家(可児における清水裕之、茅野における倉田直道)が存在することが望まれる。敷地、予算、要求水準など、すべてを盛り込み、現実の中で格闘しなければいけない建築家とは一歩離れて、都市のあるべき姿、まちづくりなども俯瞰しつつ、そこに参加するすべての人を導いていく専門家である。それはプロジェクト・プラニングの仕事であり、市民参加のファシリテートの仕事である。大変重要な仕事であるが、その職能と役割が周知しているとは言い難い。

 それら専門家による仕事や、建築家が市民参加で費やすエネルギーは、膨大なものがある。行政は、その仕事に対して、十分な理解と認識をするべきである。(茅野における古谷誠章の作業は、大学研究室のボランティア的活動の存在を抜きにしては語れないと指摘される。)何よりも避けなければいけないのは、かたちだけのプロセスのみの市民参加であり、行政の財政の裏づけのないところでの中途半端な市民参加である。正しく導かれた市民参加により、市民は、劇場を「身近なところ」に引き寄せ、自分たちで使えるものとし、劇場は愛されるものとなる。

3.香山壽夫の四つの劇場

 以上のような観点に立って、香山壽夫の四つの劇場を、建築として見てみたい。「彩の国さいたま芸術劇場」は、すでに述べたように大稽古場をはじめとする充実した練習室群が特徴である。できあがったものを鑑賞する場と共に、舞台芸術をまさにつくり上げていく場が、そこにはある。香山は、それら稽古場群をつなぎあわせる軸として、光あふれるガレリアを配置した。コンセプトの上でも、実質の建築としても、それまでは、かげの存在であった稽古場に、光をあてたものといえるであろう。劇場のオモテとウラからすると、今までウラであったものが、オモテの空間性を備えたと言える。どこかで作り出される舞台ではなく、「そこで」つくり上げられた舞台となる。「彩の国さいたま芸術劇場」においては、そのような場にすぐれた芸術監督を迎え、オープン後いくつもの優れた舞台が創造されてきたのは、周知の通りである。一方、外観においては、大ホール、それとは軸を振られたコンサートホールなどがそれぞれの屋根型を持ち、塔なども含めて、いくつかの建築群からなる「まち」のようなたたずまいを見せている。「長久手町文化の家」においては、外観上は、そのマンサード屋根の重なりが、「彩の国」よりも、さらにヒューマンな親密なスケールで展開されている。森のホール、風のホール、アートリビングをつなぎあわせる位置にガレリアが配置され、市民のための場が作り出されている。

 「可児市文化創造センター」の建築で特徴的なのは、その「大屋根」である。水平に伸びる庇状の大屋根は、「彩の国」や「長久手」の屋根の群造形と異なり、一つの水平な「大屋根」が施設全体を一つに統合している。内部にあっては、それが水平の天井面になり、それぞれの機能を担うヴォリュームをおさめている。その銅板の天井面と、フローリングの床面は、施設全体に明確な場を設定している。この可児で生み出された水平に伸びていく「大屋根」のコンセプトは、市民参加により出てくる様々な要求に対して、柔軟に対応できる建築上の仕掛けとなっている。それは、まるで風呂敷のように、どのような内容が与えられたとしても、柔軟に包み込んでいるように見える。まさに市民参加の容れ物としては、最適解であるように思える。そして「日田市民文化会館」である。ここでは、「可児」において考え出された「大屋根」が、また別の敷地のコンテクストとプログラムで展開されている。また大小二つのホールや、スタジオをつなぎとめる軸として、みたびガレリアが登場する。「大屋根」とガレリアは、劇場を「身近なところ」に引き寄せ、市民自らが、自分たちで使い舞台をつくりあげていく場として、この公共空間を作り出している。これから、この屋根の下で繰り広げられる種々の活動に期待をしたい。

(*1)香山壽夫「公共建築は死なず、生まれ変わる」(新建築2002年9月号)
(*2)清水裕之「市民参加の意図と最終目標」(新建築2002年9月号)

(2007年9月 日本建築学会建築計画委員会 劇場・ホール小委員会主催
「-参加する劇場から愛される劇場へ-日田市民文化会館 見学会+シンポジウム」冊子所収)

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