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創造都市としての日本海都市-鶴岡-

1.日本海都市-鶴岡-

創造都市とは、佐々木雅幸によれば、市民の創造活動の自由な発揮に基づいて、文化と産業における創造性が発揮された都市であり、環境問題や地域社会の課題に対して、創造的問題解決を行えるような『創造の場』に富んだ都市であるという。日本の代表例としては、金沢が挙げられている。

江戸時代から明治にかけて、対馬海流にのって行きかった北前船の寄港地をながめると、物流・人々の交流や、富の蓄積を背景として、文化も育まれていった。松江、金沢、富山などと共に、庄内平野に位置する鶴岡・酒田も、そのような日本海都市として位置づけることができる。ここでは、創造都市としての鶴岡を、考察してみたいと思う。

鶴岡は、酒井藩14万石の城下町であり、学問や文化、伝統を重んじる気風が脈々と息づいている。まちの中心にある、かつて鶴ヶ岡城であった城址は、鶴岡公園として整備されている。庄内藩の藩校であった致道館は、城址に隣接した鶴ヶ岡城三の丸曲輪内に位置する。東北地方に唯一現存する藩校建造物として、表御門、講堂、孔子廟などが残っている。また酒井家の御用屋敷跡は、致道博物館として整備されている。城址に隣接して、県内有数の進学校である鶴岡南高校や、鶴岡工業高校も立地しており、幾多の人材を輩出している。

明治大正期の鶴岡では、絹織物の製造が盛んであった。もともとは、江戸時代に酒井氏が京都西陣から技術者を招き伝授したのが始まりと伝えられるが、明治期に地元出身の発明家斎藤外市が考案した織機により、近代産業としての新生面を拓いた。(絹の斎藤外市、綿の豊田佐吉と言われていた。)その製品は海外にも輸出された。前述の鶴岡工業高校の前身は、1895年(明治28年)に創立された鶴岡町立鶴岡染織学校であった。
鶴岡は、江戸時代、城郭を囲むように武家町が、その東・南部には町人や職人の住む十四町が配置された。戦災や大きな災害にあうことがなかったまちは、江戸期の都市構造を良く残し、そこに明治大正期の建築が加わることになった。

2.文化都心

 そのような鶴岡のまちの中心である鶴岡公園に、鶴岡アートフォーラムと鶴岡タウンキャンパスは、位置する。そこは、かつての城郭の一部であり堀がめぐっていたが、その一角は戦後埋め立てられ野球場などになってしまっていた。アートフォーラムも鶴岡タウンキャンパスも、堀の水面を復活し、一体感のある領域をつくりだしている。


図-1:鶴岡公園(鶴岡城址)

鶴岡は、昔から芸術文化活動が盛んであり、白甕社という80年を超える歴史を持つ美術団体などがある。それらの作品を展示するための場所としてアートフォーラムは、構想された。設計者である小沢明は、このエリアを文化都心と呼んでいる。「文化というのは、たとえば劇場だけがあればいいというものではありません。芝居を見るにしても、自分の家から劇場に着くまでの前段階、見終わった後の余韻を味わいながら食事をしたり家路につく、という一連の行為が人間にあるわけです。それが文化です。」と、述べている。アートフォーラムは、主の展示空間がアートボックスとして中央にまとめられ、その周縁に展示空間への出入りのスペースがとられている。その街路を歩くような周縁の回廊空間は、ガラス張りで、鶴岡公園周辺の風景と一体化されている。「文化が都心をつくっていく」ということで、内向きに閉じた印象を持つ従来型の展示施設に対して、内側に閉じた箱を配置して、その外側に開いたギャラリーをデザインした。

 鶴岡タウンキャンパスには、慶應義塾大学先端生命科学研究所、東北公益文科大学大学院、鶴岡市図書館の分室となる致道ライブラリーが共存している。教育研究機関が地域活性化の効果を最大限に引きだすことを目指し、まちの中心地に、塀も門もない市民に開かれた学校がデザインされた。東北公益文科大学は、公益という社会理念を考える学問を提唱しており、酒田と鶴岡の二つの都市にキャンパスが設けられている。公益学を考えるにふさわしい場として、まちと一体化したキャンパスが目指された。致道ライブラリーは、鶴岡市、慶応義塾、東北公益文科大学三者が連携し、共同運営する図書館である。キャンパスの一角にあるレストラン棟は、水面に張り出しており、まちの観光名所にもなっている。

3.鶴岡まちなかキネマ

 鶴岡まちなかキネマは、中心市街地活性化を目的とする「まちづくり鶴岡」が、木造絹織物工場を映画館に再生する事業である。「まちづくり鶴岡」は、鶴岡市内32団体の出資を受けて、2007年に株式会社として設立された。「活性化」を単に、商店街の活性化といったような商業的視点から捉えるのではなく、地方都市全体の将来にかかわる地域社会の課題と捉えている。行政だけではできない、地域住民や民間企業の多様な発想や経験を活用することも求められている。中心市街地を都市内外の人に使ってもらうことで賑わいを創出することを目指し、人を集める仕掛け、人を集める拠点をつくることが計画された。リノヴェーションされた絹織物工場は、鶴岡公園から見ると東に位置する山王商店街の近くに位置していた。そこに市民を利用者のメインとする集客施設として映画館がつくられた。木造の小屋組みは現しのまま残す一方で、映画館として必要な梁下高さを確保するために、床を掘り込み、客席を設置している。

 鶴岡は、藤沢周平原作、山田洋次監督の映画「たそがれ清兵衛」の舞台となった地である。また庄内は、映画「おくりびと」の撮影地ともなった。鶴岡市には、数年前までは映画館が一つ存在していたが、隣接する三川町にショッピングモールに併設してシネコンができたことにより、撤退してしまった。そのため、映画を鑑賞するには車でアクセスをしなければいけない。これは高齢者や高校生以下の年代などを映画から遠ざけているといえる。映画館の整備は、そのような現状と、近年地元での映画撮影の増加による鶴岡市内外の映画に対する注目度の上昇を受けたものであり、大手シネコンが目指す方向性とは異なる、市民利用に根ざした施設である。

4.創造都市としての鶴岡

 このように、鶴岡は江戸期から残る都市構造、江戸、明治、大正、昭和の、それぞれの時代につくられ、それぞれの時代の刻印を残した歴史的建築、絹織物をメインに発展してきた産業遺産を、有効に活用しながら、まちづくりを進めてきた。それまでの市民による活発な芸術文化活動を受け、それらを発表する場を設けつつ、一方で慶応義塾など、外部からの刺激、資産も取り入れつつ、まちの中心地において、まちづくりをさまざまなかたちで展開してきた。まさしく市民の創造活動の自由な発揮に基づいて、文化と産業における創造性が発揮された都市であり、したがって鶴岡は創造都市として位置づけることができると考える。
(2010年9月 日本建築学会大会PD「創造都市時代における新たな公共空間の可能性」資料集に寄稿)

参考文献、図出典:
1.「まちづくり会議in鶴岡 -地方都市からまちの再生を考える-」記録冊子(2009年3月、まちづくり会議実行委員会、都市環境デザイン会議、鶴岡市)
2.「東北公益文科大学大学院開学記念シンポジウム2-市民に開かれたタウンキャンパスを考える-」記録冊子(2005年10月)
3.「なぜアートフォーラムか」(小沢明、新建築2006年1月号)
4.「大学づくりはまちづくり」(池田靖史、新建築2007年10月号)
5.「地域風景を守り、創造する-藤沢周平記念館と鶴岡まちなかキネマ」(高谷時彦、新建築2010年6月号)

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