Essays
This section is available in Japanese only.

「建築の終わり-70年代に建築を始めた3人の建築談義」Array

 これは、岸和郎、北山恒、内藤廣の3人の建築家による連続トーク・セッションの記録である。3人が交替にナビゲーターとなり、それぞれの建築の原点、建築を学び始めた頃の話に始まり、ニューヨーク、ワールド・トレード・センターの消滅とスペイン、ビルバオのグッゲンハイム美術館の誕生を巡りつつ、70年代以降の建築や社会を振り返り、建築の今後の可能性について論じている。

 3人の軌跡は、この時点では表面上は重ならない。しかし、それぞれ東京、横浜、京都にある大学で学び、建築について考えはじめていた。70年代は、磯崎新の時代であった。当時、「美術手帖」誌には、磯崎新による「建築の解体」が連載されていて、北山は強い影響を受けたと言う。岸は連載されていた「建築の解体」をコピーし製本して読んでいたと言う。一方内藤は、多くの学生が磯崎の「解体」に熱を上げていた時、「解体」という言葉にはあまり反応しなかったと言う。そして24歳の時、内藤は「新建築」誌の月評で磯崎の群馬県立近代美術館に対して、「全くいやなものを見てしまった。」「もしこれが建築ならば僕は建築なんかつくりたいとも思わない。」と書いた。当時直接面識のなかった3人は、別々のところで同じ事象に向かって思考をしていた。

 岸は、一方でいかがわしさも感じつつ、グッゲンハイム美術館によってビルバオには「建築」という概念が誕生したと言う。内藤はビルバオに行って、まがまがしいシンボルとして建ち続ける姿に「建築の終わり」を感じると言う。北山はビルバオは建築の理屈を抜きにする倫理のない建築だと言う。3人の意見は異なっている。しかし、建築に「建築」という概念を見ようという姿勢に、共通点がある。それは、まさに70年代が育んだ姿勢であり、建築を志す若者に向かって1950年生まれの「建築家」が投げかけたメッセージである。

(「住宅建築」2003年8月号)

Pocket