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復元の諸相から見えてくるもの 「復元思想の社会史」(鈴木博之 編/建築資料研究社)

 復元とは、失われて消えてしまったものを旧に復することと言われる。この書で論じられているのは、建築・都市・庭園・橋梁など広く風景を形づくっているものに見いだせる復元のありようであり、「うつし」と言われる祖型のコピーや復元の対極である「破却」についても俎上に上げられている。

 この本を一読して驚くのは、今まで当たり前と思って見ていた風景や建築のなかには、ある時代、ある考えのもとに復元しようという強い意思で造られたものがあるということである。例えば平安神宮をあげてみよう。平安神宮の建築がそんなに旧いものではなく、神宮の建築としては比較的新しい明治期のものであることは知っていたが、それは明治28年の平安遷都千百年紀年祭のために、京都岡崎の内国勧業博覧会の会場の隣りの敷地に建てられた平安京大極殿の建物を転用したものだという。あるいは、辰野金吾の東京駅舎から皇居に向かってまっすぐに延びる大通り(行幸道路)の視線の先に見える印象的な富士見櫓は、関東大震災で倒壊・大破した後の再建つまり復元建築であるという。震災後も、皇居にとっては、その旧江戸城の、いわばランドマークが必要とされたのであった。この本は、そのような知的刺戟をそそる事例が、広範囲に集められ、何をもとにいかなる理由やきっかけに基づいて復元されてきたかが論じられている。それらの事例は、集めはじめた当初の予想を超えて、数多く集まったという。

 建築は、用途が変わってしまったり、老朽化したために改変、改造を受け、オリジナルの姿から変わってしまうことも、ままありうる。そのような状況もある中で、一度姿を消したり、変わってしまったものを、オリジナルの姿に戻そうという作業は、新築の建築に変わらぬエネルギーと、その原動力となる思想が必要なのであろう。電気楽器が広く行き渡っている現代という時代における、オリジナル古楽器による演奏が、すぐれて現代の思想に裏づけられた現代の産物であるのと同じように、ある時代の思想、ある時代の社会の要請によって復元されたものは、やはりすぐれてその時代が産み出したものなのである。つい時間を経て当たり前と思っている「復元された風景」にひそむ、その思想の諸相を鮮やかに切り取って見せた書といえよう。

(「住宅建築」2006年9月号)

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