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空間の構成を超えて 「現代建築解体新書」(富永讓+法政大学富永研究室編著/彰国社)

 富永讓の編著による『近代建築の空間再読』なる本がある。近代建築の巨匠たちによる24の作品について、近代建築様式でつくられた建築における形の言葉、形の構成法を、描き下ろしの図面と模型によってつまびらかにした本であった。小説や文章を読むのは楽しくても、その国語の文法や修辞法について学ぶのはつまらない。音楽を聴くのは楽しくても、その音楽の構造をアナリーゼされてみても楽しくない。そんなことは、一般論としては言えそうだ。いろいろな要素をはらんだ全体像は、骸骨を取り出したものとは全く違う。まさしくその通りである。だが例外はある。上記の書は、その例外にあたる。実作者としての「目」と「手」が、形式論、様式論に陥ることをまぬがれ、その例外を生み出している。『現代建築解体新書』は、その「目」と「手」が、21の現代建築作品と向き合った成果である。

 『近代建築の空間再読』は、「面とヴォリューム」、「床」、「上下を移行する装置」、「柱と壁」、「天井」、「家具」の6章に分かれている。一方『現代建築解体新書』は、「工業と大衆社会のランドスケープ」、「場所と文化の遺伝子」、「身体的環境」、「近代建築というコンテクスト」、「消費社会のシンボル」の5章に分かれている。その章立てと内容から読み取れるのは、後者『現代建築』は、前提として前者『近代建築』の理解が不可欠であろうが、同時に『現代建築』の分析や理解のためには、空間の文法は必要だが、それを超えた切り口をそなえていないといけないということであろう。それは、両書において描き下ろされた図面を見ると、一層良く分かる。前者では、一貫して単色の線描による図面であるが、後者は二色刷りを駆使した図面になっている。それらは、ある時は内部と外部を分けるものであり、ある時は断面線と見えがかりを分けるものであり、ある時はその建築に固有な建築要素を強調したものである。それらは、現代建築の複雑なありようを解読するための有効な補助線となっている。ここでは、おそらく二色図面であるということが、分析のためには不可欠な必要なツールなのである。

 自身すぐれた実作者である建築家による透徹した眼差しが、幾層にも積層した多義的な現代建築を見通し、次の創造への手がかりを与えてくれる。優れた知性を持つ分析者と、あつい人間としての作り手が一人の人間のうちに同居しているという点で、私はここで、自身すぐれた作曲家であり、その透徹した演奏で著名な指揮者ピエール・ブーレーズを想起する。

 『近代建築の空間再読』と『現代建築解体新書』をあわせた合本、それももし可能であればル・コルビュジェ全集のようなA4版横開きの合本を望むのは、私だけであろうか。

(「住宅建築」2007年8月号)

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