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離見の見 -清水裕之試論:「劇場の構図」を読み解くために-

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「ゴドーを待ちながら」の舞台を見たのは、今から十年以上前、旧制松本高等学校講堂であった「あがたの森文化会館」においてであった。その木造洋風建築は、旧制高等学校の講堂として大正11年に建てられた。古い講堂のなかほどには一本の道が据えられ、いつまで経っても現れないゴドーを待ちながら、登場人物たちは、一本の道を左へ行ったり、右へ行ったり、立ち止まって会話を交わしたりしていた。自分が座った目の前には一本の道があり、その向こう側には、こちら側と同じように客席があり、観客が座っていた。道の向こう側の観客は、一本の道の上で繰り広げられるお芝居の観客ではあるが、こちら側から観ていると、まるで道端に座り眺めている無言の登場人物たちのようであり、ちょうど、その向かいあたりにはテレビカメラが1台あった。

「劇場の構図」をひもといていると、包囲型、扇形型、対向型という一連の芸能空間の基本型の他に、もう一つ重要な基本的形態として「道行型の芸能空間」が挙げられている。それは武者行列のような線的な運動を基本とする芸能の空間形態であり、通常は、通路、街路という空間の語彙に伴われて現れるとされる。道行型の空間形態を持つ芸能は、今日でも祭りなどの一行事の中に見ることができるが、古くは「年中行事絵巻」や「豊国祭礼図」のなかにも高度に発達したものとして散見することができるとある。日本の神には、いつも去来性遊行性の性格がつきまとい、よって芸能を培養とする土壌となった神事は、神を召喚する行為から始められねばならなかったとされる。清水は、ここで、さらに思考を進め、長い行程を持つ芸能空間に対して、始点と終点が、線分上の行為として限定された空間内で完結することを要求される場合があり、それを「限定道行型の芸能空間」と名付けている。そして始点終点が顕在化されるか、潜在化されるかにかかわらず、包囲型、扇形型、対向型という空間の静的な広がりに対して、「道行型の芸能空間」は、運動、すなわち時間の変化を基本とする動的な性格によって特徴づけられると論じる。

串田和美演出による、その舞台は、旧制高校講堂の限られた空間の真ん中を二分するようにしつらえられ、まさに「限定道行型の芸能空間」であった。神の不在がテーマであるとも言われる「ゴドーを待ちながら」の舞台が、神の召喚、神の去来性遊行性を一つのルーツに持つ「道行型の芸能空間」で繰り広げられたと解釈することができる。いつまでも神を「待ち続ける」という話が、神が到来するかもしれぬ場である一本の道で行われることにより、その不条理性が一層際立っているということができるかもしれない。ここで言いたいのは、神の召喚の空間とゴドーの舞台を、そのように結びつける解釈が適切かどうかというよりも、そのような連想を思いつくことのできる手がかりが、清水の書にはあるということである。このように、「劇場の構図」は、単純であった観劇体験に深みと奥行きを与えてくれる。「劇場の構図」のなかでは、日本における芸能空間の「型」の考察から出発して、ギリシア・ローマから、20世紀へと繋がるヨーロッパの舞台芸術の考察へと進んでいる。世界のなかの一辺境かもしれぬ日本における芸能空間の「型」を手がかりとして、古今東西すべての劇場空間を分析するという力業が行われている。「劇場の構図」は、ある劇場空間、ある演劇体験をした時、立ち返って開くと、自分にとっての新しい発見と、その体験を深化する手がかりが得られる書である。

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松本で、串田和美と緒方拳によるゴドーを観た後、何カ月かして、ふとテレビを付けるとNHKでその上演の模様が放映されていて、自分がテレビの画面に映っているのが分かった。自分がその場にいた時には、明らかに一人の観客として向こう側を見ていたのに、テレビで見ると自分がセットの一部となって、その舞台の背景の一部と化して登場していた。そのテレビのシーンは、忘れられない光景として深く記憶に刻まれた。自分自身が、その古い講堂のなかにいた時には、自分が舞台の背景の一部などということは思いもよらなかった。後日、テレビの放映を見て、ようやく気付いた有様である。

その著書のなかでの清水のまなざしは自由自在である。演者のまなざしも、観客のまなざしも、あるいはそれを俯瞰してみる神のまなざしも、すべてを兼ね備えているように見える。それは、「劇場の構図」の最初に宣言されている通りであり、「観ることとすることのかかわりの中で芸能空間を捉える」とある。芸能空間の根幹にある演技の精神は、常に観客の目を予想していると書き、集団によって演じられる芸能においては、その空間は、演技を見つめる重層した観客の眼で覆われることになろうと論じる。ここで重要なのは、演者の眼、観客の眼を含んだすべての眼を考察の対象としていることであろう。その空間にあるすべての眼の「個の視点」から芸能空間を論じる。空間のかたちからではなく、まず複数の演者のまなざし、複数の観客のまなざしから考察が始まり、空間のありようへと至る。そこに複数の人間がいることを前提とした人間中心の空間論、劇場論である。文字で書けば、そうである。結論を読めばそうである。がしかし、その結論を読んで分かることと、それを発想し、行なうことはまったく異なる。それができることは並大抵ではなく、清水の分析のユニークさ、新鮮さは、そこにある。

世阿弥が、能楽論書「花鏡」で述べた言葉に、「離見の見」というものがある。『見所より見るところの風姿は、我が離見なり。然れば、我が目の見るところは、我見なり。離見の見にはあらず。離見の見にて見るところは、すなわち、見所同心の見なり。』演者が自らの身体を離れた客観的な目線をもち、あらゆる方向から自身の演技を見る意識のことをいうとある。この世阿弥の言葉は、演者の心得であり、心得として特に説くということからすると、そこを目標にするということであり、またその境地に達することが、いかに難しいかを言外に含んでいると想像できる。清水は演者のみならず、観客までのまなざしを、いわば「離見の見」をもって想像することができる眼を持っていたということができる。そこには開かれたまなざし、開かれた知性の存在を感じることができる。

「劇場の構図」は、清水にとってのアルファであり、オメガである。劇場研究者として出発し、現実に建てられる劇場の計画、設計を手がけ、そして運営にかかわり世界劇場会議をとりまとめ、さらには広範な領域にわたる環境学の研究教育を主導しながら担ってきたという、清水の活動の実践には、一貫して、その開かれたまなざし、開かれた知性の存在を感じることができる。さまざまな場面において、多くの登場人物と対話を重ね、それを実りある方向に導いていく核は、すでに最初の著作のなか、あるいは著作をつくる過程のなかで見出すことができるといえよう。かつて、ある評論家は「作家は処女作に向かって成熟する」と書いたが、修士論文における芸能空間の分析から構想された「劇場の構図」を序幕とする清水の長い道程を考えると、清水にとっての処女作ともいうべき「劇場の構図」には、清水の思考の出発点が示されていると同時に、今日に至り、これからも続くであろう、清水の活動実践の精神のありかが示されているのである。これからも、折に触れ、手に取って読んでみたい。

(2017年7月「清水裕之先生 名古屋大学退職記念誌に寄稿」

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