「造景する旅人 建築家吉田桂二」
吉田桂二は、その幅広い活動によって知られるが、その活動はおおむね三つの柱に分けて考えることができる。一つは、木造架構をベースにした作品を設計する建築家としての活動であり、もう一つは歴史的な町並みを描いた多くの美しいスケッチからなる著作をつくり、実際の保存活動に多面的に携わっている保存の実践家としての活動であり、さらに間取り等の住まいの本を通しての啓蒙家としての活動である。吉田桂二の活動を知りたければ、本人による、その多くの著作を見れば、土地に根差した多くの作品を知ることもできるし、多くの美しいスケッチによって、日本や世界の民家、町並みの美しいたたずまいを見ることもできるし、間取りの本を通じて、住まいのあり方を問い直すこともできる。この伝記では、そのような多面的な活動の根っこがどこにあり、どこでどのように、それらの活動がつながり展開してきたかを知ることができる。
吉田桂二は、東京芸術大学で建築を学び、大学時代の師は、日本の新しい数寄屋をつくりだした吉田五十八であった。一方修業時代の師は、日本の住宅に新たな地平を切り開こうとしていた池辺陽であった。彼は、吉田五十八が開いた新しい数寄屋の世界でもなく、池辺陽の開いた機能主義による新しい住宅の世界でもなく、古い町並みや民家の保存を通して、そこから木造建築文化のエッセンスをくみ取って、彼独自の創造の世界を開いていった。それは、二人の師が開いた世界とは、また別の世界のものであるといえるが、吉田桂二が吉田五十八賞受賞に際して、「ぼくは、八さんのマネはしませんが、八さんを超えるような仕事が残せたらと思います。」と感慨をもらしたように、方向性は違っても師が持っていた建築に対する姿勢にどこかで大きく影響を受けたものである。
吉田桂二は、岐阜の出である。生まれ育った岐阜のまちは、町家が軒を連ねていたが戦災で焼かれてしまった。そのスケッチからも分かるように彼の記憶の中では鮮明なイメージが残っている。民家や町並みに対する愛着、彼の活動の根は明らかにそこにあると考えられる。彼の旅の道程は、その失われた原風景をどのように再発見し、創造へと変換させていったかの道すじであり、本書をひもとくと、その展開のいきいきとしたありさまを知ることができる。
(「住宅建築」2003年2月号)