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失われた時を求めて 「萬來舎-谷口吉郎とイサム・ノグチの協奏詩」(杉山真紀子編/鹿島出版会)

 その美しい名前を持った建築と庭園は、今や失われてしまった。その名を、『萬來舎』と言う。三田の丘に建つその建築は、教職員・塾員・塾生の交流の場として、「千客万来」の意味から名づけられた。その学校を創設した福澤諭吉は、「演説」の大切さを説くとともに「交流」の持つ役割を高く評価した人物であった。『演説館』と『萬來舎』は、かくして隣接して建てられた。その後『萬來舎』は、幾度か改築され場所も移されたが、1945年戦災により取り壊されてしまった。1952年谷口吉郎とイサム・ノグチは、その精神をよみがえらせるべく、新しい創造の道を模索した。

 そこで建てられた新しいその建物は、またの名を第二研究室と言い、教員たちのための研究室群と談話室からなるものであった。「く」の字の平面形を持ち、谷口の美意識によってデザインされた縦長の窓を持つ、清らかな建築であった。『萬來舎』の精神に立ち戻り、『演説館』に寄り添うようにして建てられた。「く」の字に曲がる壁面に導かれた視線が、その先の『演説館』のナマコ壁にたどり着くように、建物は配置された。イサム・ノグチは、この『萬來舎』のために、「無」「若い人」「学生」と呼ばれる三つの彫刻と庭園をつくり、談話室は、谷口、ノグチ二人の共同によってつくられ、「ノグチ・ルーム」と呼ばれるようになった。談話室は、アプローチの道側、庭園側共にガラス張りになっていて、その箇所だけは、アプローチ側から見たときに透過して、庭園側まで見通せるしつらえになっている。後年、単なる彫刻家にとどまらず、庭園をデザインし、空間をつくりだし、環境を造型することになるイサム・ノグチの芸術家としてのすべての萌芽が、ここに見てとれる。出来上がった彫刻が置かれたのではなく、彫刻を置かれる場を共同でつくりつつ、かつ彫刻もそれにあわせてサイト・スペシフィック・アートとしてつくられた。そのように見てきた時『萬來舎』は、単に「ノグチ・ルーム」と、その周辺だけを指すのでなく、建築の建っている位置、そのかたち、談話室のしつらえ、三つの彫刻と庭園を含めたその総体が、まさに『萬來舎』と呼ぶべきものであり、それらこそが谷口とノグチが『萬來舎』精神をよみがえらせるために考え抜いた結晶であったはずである。

 その失われた『萬來舎』は、この小さな本の中に記憶されることになった。建築と彫刻と庭園からなる詩は、イサム・ノグチ自身、平山忠治、安齋重男による写真、谷口、ノグチらによる文章、そして図面や解説によって、その総体とは何であったのかを、この本の中でたどることができる。今は存在していない『萬來舎』に潜むメッセージは、この本の中に書きこめられ、次代に継がれることになったのである。

(「住宅建築」2007年2月号)

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