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建築家の学校の百年に 「ケンチクカ-芸大建築科100年建築家1100人」(東京藝術大学建築科 百周年誌編集委員会/建築資料研究社)

 一見、まことに不思議な本。もしも「帯」がなかったら、本でなくて冊子を束ねたものにしか見えない。A5版よりやや小さめの薄い月刊同人誌を、2,3年分糊付けしたような体裁。それも月によって色とりどり。一方で、その昔ガリ版刷りでつくった小学校の卒業文集のような香りもする。1100人の建築家による卒業文集。文章も、気がつくと次の書き手に移っていて、どこからが文章のはじまりで、どこまでが終わりかが分からない文集。それは、古くて新しい一つの大きな物語なのかもしれない。

 わたしの知っている芸大建築科の卒業生たちは、何だかとっても仲がいいように見える。だが、みなそれぞれに個性的。絵はうまく、手は動く。聞くと、1学年15名だという。学校が大好きで、4年より長くいてしまう学生も多々(?)いるという。そんな卒業生たちの姿を写した同窓会の集合写真のような百周年誌。この本には、建築学科ではない建築科-建築家を生み出す学校の秘密が満載だ。多くの卒業生が書き手だが、卒業生以外にも原稿依頼をしている。内輪話にとどまらず、その原稿に最もふさわしい書き手を選んだ結果という。ノスタルジアよりは、歴史を通して未来へのメッセージを志向している。

 吉村順三によると、建築家は「ひろい文化的知識をもち、しかも非常なイマジネーションをもって、ヒューマンなものを具体化する」仕事だという。そのような考えに基づいた少人数教育から、多士済々の士が巣立っていった。

 そんな卒業生の一人は、プロジェクト・プランナーを仕事としている。彼は「プロデュース」とは、設定した達成目標に対して、さまざまな能力・職能を束ねて、無を有に変換させることだという。そして「プロデュース」の力の養育には、「建築」を学ぶことが大いに有効だと述べる。なぜなら「建築」は、インテグレーションすなわち統合化の産物であり、一人では「建築」は体現させられない。したがって建築を学ぶ第一歩から、実はこうした統合化作業のフレームのうちでの訓練が始まるのだという。つまり建築の知識を学ぶだけでなく、むしろ建築を学ぶことを通して身に付く思考的・感覚的な能力としての「建築的なる発想」が、「プロデュース」の仕事にはとても有効だという。イタリアなどで舞台美術家や服飾のデザイナーたちに、若いころ建築を勉強した者が多いのも、それに通じる話だ。建築家の仕事は、まちがいなく広義の「プロデュース」の仕事である。何もないところから、一つの全体像をつくりあげる。

 芸大では、古建築の実測と、イスの制作で鍛えられるという。百年記念の集まりのために呼びかけたところ、その学生時代のイスを今でも多くの建築家が手元に持っていたと聞く。彼ら建築家としての原点は、この学校にある。

(「住宅建築」2008年2月号)

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