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時が刻んだ風景の物語 「ヒルサイドテラス+ヒルサイドウエストの世界 都市・建築・空間とその生活」(槙 文彦 編著/鹿島出版会)

 ヒルサイドテラスとヒルサイドウエストは、旧山手通り沿いに展開していった一つの長い物語である。第一話での登場者たちは、その姿やかたちを徐々に変えて再び現れたり、あるいは姿を消しながら成長、成熟していった。最初に物語の結末がはっきりとしていたわけではなく、第二話、第三話と話は、むしろ意外な展開を見せていった。植田実は、いつかそのことを「読みようのない次の一手」と評し、意表をついたものと論じていた。急速に変化する東京の中にあって、ゆっくりと成長していく姿は、連歌のように連続性と意外性を持って展開していった。できあがった姿を見ていると、いつのまにか当たり前の風景のように見え、しかしいつ来ても新鮮に思えるのは、そんな成長のしかたに秘密がありそうだ。

 その時が刻んだ風景の物語が、一冊の本になった。本を開き、目次を過ぎると、モノクロの端正な写真が編年順に並び、都市の中のヒルサイドがエッセイとして何人かの語り手によって語られる。そのような前半が、ヒルサイドを俯瞰的にとらえようとしているのに対して、後半はより詳細なレベルでの物語のきめ細かい解読が、スケッチ、図面、写真、文章により展開されている。(その多くは、カラーである。)今回新たに描き起こされた図面、新たに撮影された写真も多くまじえ、ヒルサイドの空間に分け入っていくような感覚にとらわれる。伝統的な街並みの記号論研究で著名な門内輝行と対話する中で、槇文彦は、その物語の成り立ちを明らかにしていく。つくるときには意識されなかったかもしれないことがらが、門内の分析の力を得て、ここでは明らかになっていく。見え隠れしながら展開していくヒルサイドの現在をとらえた数多くの写真は、その空間とそこで繰り広げられている生活をあますところなく伝えている。この本の副題が、「都市・建築・空間とその生活」となっていて、建築という器と、そこで行なわれるアクティヴィティの二つが並置されているのは、おそらくはヒルサイドの本質にかかわることである。

 ヒルサイドテラスもヒルサイドウエストも、その根本は都市を構成する住居である。ヒルサイドは、宮殿でもなく、モニュメントでもなく、近代建築が追い求めてきた夢を、都市の基本的な構成要素である集合住居と、内外部のパブリックスペースの連鎖により、実現させてきた。それは大仰な身振りの英雄叙事詩ではなく、20世紀の東京が紡ぎだした一つの魅力的なヒューマンスケールの物語なのである。この1冊の本は、その魅力を味わい、都市の本質の一端を汲み取るための書なのである。

(「住宅建築」2006年9月号)

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